世紀の悪漢小説! バルザックの『ラブイユーズ』読書会 / 2023年11月18日(土)に開催しました。RENS(大阪の箕面にある読書空間)
前回のバルザック作品『ゴリオ爺さん』読書会に引き続き、開催された人間喜劇『ラブイユーズ』課題本読書会です。
『人間喜劇』の一部であるこの作品。
新たな発見と感想、参加者の間で話題は尽きませんでした。本当に面白い小説です。
内容についてのネタバレが含まれているのでご注意下さい。
——————–以下はネタバレを含みます——————–
【持参された翻訳版】
今回の読書会は、バルザックの『ラブイユーズ』です。参加者が持参したのは二つの異なる翻訳版でした。藤原書店から出版された『ラブイユーズ―無頼一代記』で、吉村和明氏による訳です。もう一方は光文社古典新訳文庫からの『ラブイユーズ』で、國分俊宏氏が翻訳したものです。
両書とも、登場人物の紹介や当時の貨幣価値(1フラン=千円と想定)など、時代的背景に関する情報が含まれている点が非常に親切で、読者が作品をより深く理解するのに役立ちました。こういった補足情報により、19世紀フランスの社会経済状況に基づくバルザックの「人間喜劇」を現代の読者にも親しみやすくしています。
【参加者の感想】
「イスーダン? せごどん?」
『ラブイユーズ』における都市と田舎の対比は、当時のフランス社会の縮図を表しており、その時代の社会的背景と人間関係の複雑さを理解する上で重要な情報でした。バルザックの巧妙な舞台設定は、単なる物語の背景にとどまりません。
イスーダンはフランスの中央部に位置しており、インドルに属しています。この地域は、豊かな農業地帯として知られ、フランスの豊かな自然美があります。
この対比が参加者にとって「西郷どん」を想起させたようです。「西郷どん」の舞台京都は、当時の日本の文化的・政治的中心地であり、一方の鹿児島は西郷隆盛の出身地。より地方的な特色を持つ場所です。これは『ラブイユーズ』におけるパリ(文化的・政治的中心)とイスーダン(地方都市)に似ていると。
「ちゃんとした決闘」
当時のフランスには、名誉を守るための手段として決闘がありました。それが公式なのか非公式なのかは不明ですが、決闘の申し出をして、時間と場所を決め、証人の存在があり形式的で適切に行われました。
悪漢フィリップとマックスの決闘シーンは、『ラブイユーズ』における見せ場のひとつで、事細かに描写しており、そのリアリズムが逆に意外でした。「バルザックが格闘描写してる!」というのは新鮮です。
「主人公は誰?」
『ラブイユーズ』の主人公に焦点が当たりました。藤原書店の帯には「主人公フィリップ・ブリドー」と記載されている一方で、タイトルは『ラブイユーズ』です。すなわちフロール・ブラジエを指しています。この点が、参加者の間で盛り上がり話題となりました。
バルザックが作品のタイトルに主人公の名前を用いるかどうかという議論は、彼の作品全体にわたる特徴を浮き彫りにします。『ゴリオ爺さん』ではおそらく主人公とされるラスティニャックとタイトルのゴリオ爺さんの間にギャップがあります。
このことが、タイトルと主人公が必ずしも一致しないことを示唆しています。他の作品では、主人公の名前がタイトルになっている例もありますが『ラブイユーズ』においてはどうでしょう? フィリップとジョゼフの母「アガト」が献身的なキャラクターであるものの、彼女を主人公とするのはしっくりこないとの意見もありました。
最終的に、この読書会では「主人公がこの人だ」という明確な結論を出すことなく、各キャラクターが独立して立っており、参加者一人ひとりが異なる印象を持つとしました。これは、バルザックの作品が複数のキャラクターに焦点を当て、それぞれが物語において重要な役割を果たしているからです。この多面性が『ラブイユーズ』を含むバルザックの作品を読む魅力の一つとなっており、読者によって異なる解釈や感想が生まれます。
「フィリップの成長??」
フィリップの物語は、彼の成長と変化を巧みに描いています。物語の序盤では、彼は酒場、踊り子の女性に夢中になるなど、子供っぽく未熟な一面を見せます。彼の行動は粗野で低俗、まるで街角で悪巧みをする小悪党のようです。しかし、物語が進むにつれて、フィリップは劇的な変貌を遂げます。
彼が犯した数々の罪により拘留される経験を通じて、フィリップは内省の機会をえます。この期間が彼にとっての転機となり、物語の中盤以降、彼はまるで別人のように変わります。かつての粗野さを残しつつ、貫禄のある落ち着きがあり、少し知的で洗練された悪党へと生まれ変わったかのようです。この変化は、留置所で過ごした時間と深く関連しているのでしょうか。もしかすると彼はそこで多くの時間を読書に費やし、知的な教養を身につけたのかもしれません。
この変化は、フィリップのキャラクターの深みを増し、彼が単なる一面的な悪党ではなく、複雑な背景を持つ人物へと進化しています。
「振り回された人たち」
醍醐味のひとつに悪漢フィリップとマックスの熾烈な対決が描かれており、その興奮は読者を魅了します。しかし、この二人の行動が周囲に及ぼす影響も計り知れません。フィリップとマックスは自らの欲望を追求し、周囲の人々に多大な迷惑や損害をもたらします。
特に、フィリップの行動によって翻弄される三人のキャラクター、母親アガト、ラブイユーズのフロール、そして弟で芸術家のジョゼフの苦悩は深い共感を呼びます。アガトは息子の選んだ道に心を痛めながらも、母としての愛情を失わず、彼を支え続けます。一方で、フロールはフィリップへの恋愛感情と彼の行動による影響との間で陥れられます。そして、ジョゼフは芸術家としての情熱を持ちながらも、兄の影響下で自身の道を見失いつつあります。
これらのキャラクターたちの苦悩は、フィリップとマックスの行動の結果として描かれています。彼らの物語を通じて、個人の選択が周囲の人々に与える影響の重さが浮き彫りになりました。この複雑な人間関係の描写こそ『ラブイユーズ』の魅力の一つであり、物語の感動的な側面を形作っています。
「ここでタイトルの意味」
この小説のタイトル「ラブイユーズ」(”La Rabouilleuse”)は、フランスのベリー地方の方言に由来し、「川揉み女」という意味をがあります。川揉み(ラブイエ)とは、川の流れを木の枝などで掻き乱し、水を濁らせる行為です。川揉みに使用される枝は”ラブイヨワール”と呼ばれています。
このタイトルは、小説の核心を象徴的に表しています。物語の中で、悪漢たちが周囲の環境や人々の生活をかき乱す様子は、川揉みの行為に喩えられます。彼らの行動は、周囲の人々の生活を混乱させ、多くの人々を振り回し、事態を複雑化させます。この混沌とした状況は、まさに川の流れが枝によって掻き乱される様子を連想させました。
『ラブイユーズ』というタイトルは、この物語の内容に見事にマッチしていて、他のバルザックの作品にはない独特の洗練された魅力があります。響きも含めて、ある種の神秘性とスタイリッシュさを兼ね備えています。読書会の参加者からも「このタイトル好きだな」という声が漏れるほど、その響きと意味の深さに魅了されました。
「弟ジョゼフという男」
ジョゼフ、フィリップの弟であり画家として「セナークル」の一員である彼のキャラクターは、この小説において重要な役割を果たしています。小説全体を通して目立つ純粋な悪役たちと対照的に、ジョゼフは対極の位置にいます。悪の権化と芸術の象徴としての対比を表現し、そのコントラスがはっきりと描かれています。
ジョゼフの人物像には、他にも印象深い場面があります。フロール(ラブイユーズ)との初対面のシーンです。彼はフロールの美しさに圧倒され、「たいしたもんだ! こんな美女、めったにない!」と感動を叫びます。この瞬間、彼の感情的で浮足立った一面が露わになり、人間らしさや情熱が垣間見えました。
彼の芸術への献身と感情の豊かさは、悪役たちとの対比を一層際立たせ、物語に多層的にしました。ジョゼフのキャラクターは、物語の中で悪と芸術の間の複雑な関係性を探るための鍵となったのではないでしょうか。
「フロール(ラブイユーズ)には自我があったのか?」
フロールのキャラクターはその歩んできた人生によって悪女だったり、哀れな女だったりいくつもの印象を受けます。彼女は十分な教育を受けることなく、わずか12歳で田舎町で医師ルージェに拾われ、そして徐々に転落していきます。フロールの人生は、外部の環境や出会った男性たちの影響を受けて変容していきます。が、彼女に自我が欠けていたためにそのような運命を辿ったとの意見があがりました。
フロールの人物像は単純ではありません。彼女がマックスと出会い、恋に落ちたことで、彼女の内面に自我が芽生え始めたのではないかという見方もあります。ジャン・ジャックに対して積極的に悪態をつき、S気を出して嗜虐的に追い詰めます。その様子からは、ある種の愉悦を感じているようでした。こういった行動は、環境に流されるだけの存在だったフロールが、恋愛を通じて何らかの覚醒をしたことなのかもしれません。
『ラブイユーズ』を「フロールに自我があるのか?」という視点で読むと、物語は異なった奥行きをみせます。読者それぞれがフロールのキャラクターをどのように捉えるかによって、印象は大きく変わるでしょう。フロールの自我の有無に関する議論は、読者にさまざまな思考の余白を与えました。
「谷崎潤一郎の小説『痴人の愛』に登場するナオミのような嗜虐性」
小説『ラブイユーズ』のフロールと、谷崎潤一郎氏の『痴人の愛』に登場するナオミとの間には、類似点があるのではないでしょうか。フロールがジャン・ジャックを罵倒し、追い詰める様子は、『痴人の愛』のナオミに描かれる小悪魔的で奔放な行動を思い起こさせました。
『痴人の愛』のナオミは、カフェーの女給として働く15歳の少女から始まり、物語を通じて予想外の女性に成長していきます。ナオミのキャラクターは、自己の欲求を追求し、自分を取り巻く環境をコントロールする能力を持っています。(どちらかといえばフィリップのような……)
ということでフロールとナオミは、自我の覚醒や変化を経て、自らの欲望を追求する女性として描かれています。そしてどちらも美しく妖艶です。『ラブイユーズ』と『痴人の愛』は異なる時代背景と文化を持ちながらも、女性キャラクターの変容と成長を描く点で共通しています。
「女性を追い詰める手口」
この小説には悪漢フィリップの行動は、彼の恐ろしさと狡猾さが際立っています。彼の手口は緻密で計算高く、フロールを操る方法は恐ろしくも巧妙です。フィリップはまず、フロールにおしゃれや高価なものへの嗜好を植え付けます。彼女にリキュールの味を覚えさせ、贅沢な生活に慣れさせるのです。そして、フロールがこの新しい生活様式に完全に浸かった頃、フィリップは彼女に対する金銭的な支援を止めます。その結果、フロールは自ら稼ぐしかなくなります。
この段階的な方法で、フィリップはフロールをわずか1年も経たないうちに社会的、経済的などん底に追い込みます。このようなフィリップの手法は、現代の夜の裏世界にも存在しそうな恐ろしさがあります。彼が知っている数々の悪事は、彼の悪党としての性格を浮き彫りにし、緊張感とリアリティを加えました。
人間を追い込む恐ろしい方法を彼はいくつも知っています。
「それでもフィリップはどこか憎めない」
フィリップのキャラクターは、矛盾と複雑さを持つ存在です。彼は紛れもなく悪党で、非道な行いを重ねる人物として描かれています。現実世界で彼のような人物に遭遇したら、決して関わりたくないタイプの人間であることは間違いありません。しかし、物語の中でのフィリップは、どこか憎めない魅力を持っています。
この矛盾する魅力のひとつは、彼が弟ジョゼフの仇であるマックスとの決闘をする場面です。このシーンでは、彼の行動に胸が熱くなるような感情を覚えます。
そしてフィリップはマックスとは異なり、そのほとんどの悪事は身内に対して行われており、意外と一般の人々に対する危害は少ないという点が彼のキャラクターを一層複雑にしています。
フィリップの最期は、彼が犯した罪を一身に受けるかのような壮絶なものであり、彼の人生を完全に清算するようなものでした。フィリップのキャラクターについて考えるうちに、彼が実は物語の主人公であったのではないかと感じる瞬間があります。彼の複雑な性格と行動は、『ラブイユーズ』の最も重要な要素です。フィリップのキャラクターは、悪党でありながらも人間味を持ち、読者に強い感情を抱かせる存在となっています。
「バルザック味」
『ラブイユーズ』は、オノレ・ド・バルザックの作品の中でも特に勢いと力強さが際立つ作品です。(といっても何冊も読んでいないのでわかりません)この小説は、欲望、芸術、悪、金銭、美といったテーマが渦巻く複雑な物語を展開します。バルザックはこれらのエッセンスを巧みに濃縮し、物語に深みと多様性を与えています。この「バルザック味」とも言える特有の文体とテーマの処理は、読者に深い満足感をもたらします。
この作品をバルザックの他の作品、前回の課題本『ゴリオ爺さん』と比較すると、『ラブイユーズ』の独特な強度と濃密さが一層際立ちます。『ゴリオ爺さん』もその独自の魅力と深さを持つ作品ですが、『ラブイユーズ』では、それらの要素がさらに強化されているようでした。
バルザックのこの作品は、彼の文学的才能と洞察力の真骨頂なのではないでしょうか。
「小説を書くことを諦める?」
『ラブイユーズ』は、バルザックの筆致が全面に押し出された作品で、その豊かな味わいを存分に楽しむことができます。この小説は、鮮明に描かれたキャラクターと息をもつかせぬ急展開のストーリー。物語は巧みに構築され、読者を絶えず引きつける毒のある強烈な結末で締めくくられます。これらの要素が組み合わさることで、読者の心に深く刻まれる作品です。
バルザックのこのような傑作を読むと、後の作家たちがどれだけ苦労したかを容易に想像できます。『ラブイユーズ』のような卓越した小説の存在は、新たに小説家を目指す人々にとっては大きな挑戦であり、無視できません。この小説を読んだ人々は、「こんな素晴らしい小説が存在するのか!」と驚嘆し、その卓越性に圧倒されたでしょう。
【まとめ】
本日の読書会は、参加者全員が活発に言葉を交わし、2時間があっという間に過ぎてしまうほど充実した時間となりました。前回の『ゴリオ爺さん』読書会に参加された方々、初参加の方々も含め、全員が熱心に話し合うことができました。
この読書会では、話題の多さと深さにより、書ききれなかった点や、もっと話したかった細かい内容がたくさんありました。特に、あるキャラクターについてもっと詳しく話し合いたかったです。(ファリオのおやじ、ジャン・ジャック、ジョゼフ)
「次は???」
第3回目の『人間喜劇』シリーズの読書会に向けて、早くも期待が高まっています。
次回の候補作品として『幻滅』『あら皮』『姉妹ベット』などが挙がっており、これらの作品もバルザックの魅力に満ちたものです。短編集も選択肢の一つとして考えられますが、最近の『ラブイユーズ』での深い読書体験により、同様もしくはそれ以上の深みを持つ作品への渇望が強まっています。
今回はとにかく独特の「バルザック味」を感じることができ、その味わい深さは参加者にとって格別でした。次回の読書会では、さらに多くの方に参加していただき、バルザックの作品に対する話ができたらと思います。
興味がある方は、ぜひご連絡をお待ちしております。
(記事については、あくまで読書会で出た個人的の感想です)
ということで、今後も課題本読書会を開催したいと思いますので、要望があれば是非ともご連絡ください。