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架空の村マコンドを舞台に、ブエンディア一族の栄枯盛衰を壮大に描いた作品。
ガブリエル・ガルシア=マルケスのこの作品は、世界的なベストセラーとなり、ラテンアメリカ文学ブームの先駆けともなりました。また、「世界傑作文学100」にも選ばれていて、その文学的価値は計り知れません。

そして、6月26日には待望の文庫版が発売されます。この機会に、ガルシア=マルケスの作品に初めて触れる方も大歓迎! ということで、読書会を2回に分けて開催しました。


『百年の孤独』 著者:ガブリエル・ガルシア=マルケス(新潮文庫)

蜃気楼の村マコンドを開墾しながら、愛なき世界を生きる孤独な一族、その百年の物語。錬金術に魅了される家長。いとこでもある妻とその子供たち。そしてどこからか到来する文明の印……。目も眩むような不思議な出来事が延々と続くが、予言者が羊皮紙に書き残した謎が解読された時、一族の波乱に満ちた歴史は劇的な最後を迎えるのだった。世界的ベストセラーとなった20世紀文学屈指の傑作。

引用元:「新潮社」より

待ちに待った『百年の孤独』読書会、その振り返り

ついに、待望の『百年の孤独』読書会を2回にわたり開催いたしました。今回の読書会では、参加者それぞれが感じたことや考えたことを自由に話し合い、物語の奥深さに改めて気づかされる場となりました。

このブログでは、読書会の詳細な内容を簡単に怒涛の感想を五月雨式に書きなぐっています。

内容についてのネタバレが含まれているのでご注意下さい。

コロンビア カカオ

——————–以下はネタバレを含みます——————–

【読書会参加者の声】

読んで良かった。一人だと挫折していたかもしれない

ある参加者は、今回の読書会を通じて改めて『百年の孤独』を読み直すことができたそうです。約15年前に一度読んだことがあるものの、その記憶はあやふやで、特に細かなシーンや出来事を間違って覚えていたことに気づきました、と。

「例えば、レメディオスの昇天のシーンについて、こんなに短かったっけ? と驚いた。記憶の中では、この場面がもっと長く、印象深く描かれていたと思い込んでいた。時間が経つ中で、物語が自分の中で少しずつ変容していたことに気づかされた。記憶を補完しながら最後まで読み通すことができた」

家系図をどう扱うべきか

「読書中に『百年の孤独』の家系図を参照しましたか?」
「見ました」「途中でやめました」といった様々な反応がありました。作品の登場人物が多く、名前も似ているため、誰が誰かを把握するのが難しい場面も多々あります。

ある参加者は、「キャラクターをいちいち覚えなくても、物語の大きな流れの中で出来事を把握する程度で十分」と考え、家系図を参照するのをやめたそうです。その理由として、物語の本質はキャラクターの詳細に固執するのではなく、全体のテーマやストーリーを掴むことにあると感じたからだそうです。

一方で、別の参加者は真逆でした。家系図に何度も目を通し、登場人物ごとに付箋を貼るなどして、キャラクターの関係性をしっかりと把握しながら読み進めたとのことです。この方は、「キャラクターをきちんと押さえておかないと、作品の細部を理解することは難しい」という考えでした。

ブエンディア家の男たち、名前と性格の不思議な一致

ブエンディア家の男たち、アウレリャノとアルカディオは、家系の中で重要な軸となる存在です。アウレリャノは内向的で理知的な性格を持ち、反対にアルカディオは破天荒で外交的な印象がありました。この二人の特徴さえ覚えておけば、物語の理解に大いに役立つのではないか?

「そういえば、物語の中で一度、どこかの世代でチェンジリング(取り換え)が起こったエピソードがありましたよね。病院で子どもが入れ替わり、それぞれの名前が逆になって生まれてくる……。その結果、アウレリャノとアルカディオの名前に対する性格が合わないように感じる場面がありました」
「ああ、ありましたね」
さらに、この二人が死んだ後、墓に埋葬される際にもまた取り違えられてしまいます。しかし、最終的には元に戻って、本来の名前に、なんて不思議な展開。

ブエンディア家の名前や家系図は、実は物語全体を理解する上でそれほど重要な要素ではないのかもしれません。作品が描く壮大な流れの中で、名前や家系図は単なるシンボルに過ぎず、むしろキャラクターたちが持つ本質的な特性やその生き様こそが重要であると感じました。

双子の赤ちゃん

『百年の孤独』を読むのにかかった日数は?

「どれくらいの期間で読み終えましたか?」
文庫版で600ページを超えるこの大作について、参加者たちに尋ねたところ「1週間です」「1ヶ月ですね」「僕は3日でした」と、それぞれでした。
一番多かったのは「1週間」。
その次に多かったのが「1ヶ月」、そして少数派ながら「3日」という驚異的なスピードで読み終えた方もいました。
「この小説は感覚を開けるとすぐに忘れてしまうので、1ヶ月もかかると細かい部分を忘れてしまいますね」
多くの登場人物や複雑なプロットが展開される作品では、できるだけ短期間で一気に読み切るのが、記憶に鮮明に残るコツなのかもしれません。

読みやすかったですか? その独特な作風について

特に海外の小説をあまり読まない方にとっては、かなり読みにくかったのではないかと思います。その理由の一つが、作品中の“心理描写”の少なさです。実際、心理描写がほとんどないと感じる方も多かったです。さらに風景描写も極端に少なく、これが読みにくさの一因になっています。

この小説が発刊されたのは1970年前後。当時、日本では田辺聖子や三浦綾子、さらには三島由紀夫が、心の機微や豊かな描写で読者の共感を引き出す作品を生み出していました。一方で、海外の小説ではストーリーラインが重視される傾向あり。そんな中、『百年の孤独』は、まるで横っ腹に風穴を開けたかのような衝撃的な作風で登場したのです。

従来の物語の構成とは一線を画しており、ストーリーよりも、怒涛のように押し寄せるエピソードの数々。次々と起こる不思議で訳のわからない出来事、そして時間的な感覚が狂っているような展開が続くため、読者はその独特な世界観に圧倒されたことでしょう。

参加者から「人物になかなか共感しにくい」「感情移入が困難」との意見もありました。

小説が描く時代背景と現代の視点

小説は書かれた時代の価値観やその土地の常識を踏まえて構成されていることが多いですよね。そして、今、私たちが読んでいるのは文明が発達した令和という時代です。作中では当時の産業や、文明の波がまるで魔法のように見えることがあります。その神秘性を感じ取るためには、少し頭を切り替えて、当時の価値観や技術の限界を想像することが必要なのではないでしょうか。

「例えば、小説の冒頭に登場する望遠鏡のエピソードでは、望遠鏡を覗いた登場人物が『距離が消えた!』と驚くシーンがあります。これは、当時の人々にとって、望遠鏡という新しい技術がどれほど驚異的で、不思議なものであったかを表現しています。実際、今ではインターネットのマップを使えば、世界中どこにいても、瞬時に地図や風景を確認でき、距離という概念がほとんど消えてしまったかのように感じられるように」

作品の中で描かれる魔法や神秘は、日常的に使っている技術や文明を少し別の視点から捉えることで、その本質的な驚きを再発見できるのではないでしょうか。『百年の孤独』に限らずですが、小説を読む際には、当時の価値観に立ち返りながら、その世界観を味わってみると、新たな発見があるかもしれません。

濃密? それとも稀薄?

「『百年の孤独』を読んでみて濃密だと感じましたか?」
「それとも稀薄でしたか? 多くの読者が「濃密だ」と感じるのではないでしょうか」
「何と言っても、物語に登場する数々のエピソードと、個性が際立った濃ゆいキャラクターたちが印象的です。まともな人間がほとんど登場しないんじゃないですか。強いて挙げるなら、ウルスラが比較的まともな人物かもしれません。でも、彼女も相当変わった存在ですよね。何歳まで生きるのかというほどの長寿で、普通とは言いがたいキャラクターです」
「私はこの作品を稀薄、もしくは平坦に感じました。その理由の一つは、心理描写が極端に少ないことです。登場人物たちはかなり激しい性格をしていますが、心の動きや内面があまり描かれていないため、物語全体が表面的に見えてしまいました」
キャラクターや出来事は確かに濃厚なのに、心の内側が描かれないことで、表現の幅が狭く、結果的に平坦な印象を受けたのだという感想がとても印象的でした。

神話性と年代記的視点

「『百年の孤独』には心理描写がほとんどないという感想がありましたが、その理由の一つは、この物語自体が神話的な雰囲気を持っているからではないでしょうか。まさに神話的であり、一種の民間伝承のように感じました。どこか現実離れした出来事や超自然的な要素が多く盛り込まれ、そのため、個々の人物の内面よりも、物語全体の大きな流れに重点を置いて読みました」

「たしかに、年代記的とも言えるかもしれません。ある一族の繁栄と凋落を描く、まるでドキュメンタリーのような作品。一族の歴史を通じて、ブエンディア家の興隆と没落が綴られ、各世代がどのように運命をたどるのか。もしこの物語が年代記であるとするならば、単に一族全体の視点だけでなく、ウルスラの視点で語られた年代記? 彼女は家族の長老として、すべてを見守り、長い年月を生き抜いた人物であり、その視点から見たブエンディア家の歴史、年代記的な性格を持っているのではないか」

キャラクター、魅力的な個性たち?

『百年の孤独』に登場するキャラクターたちは、どれも個性豊かで、読者を引き込む力があります。
「アウレリャノ大佐はその中でも際立つ存在」
「アマランタとレベーカの激しい喧嘩は、作品の中でも屈指の名シーン。彼女たちの終わりなき対立は、読んでいて飽きることがありませんでした」
「ピエトロ・クレピスも魅力的なキャラクターの一人です。彼の優しさや誠実さは、光っています。そして、ヘリネルド・マルケス大佐も見逃せません。彼とアマランタの関係は、複雑でありながらも心に残るものがありました」
「ニカノル神父は、当時の教会を発展させるために奇妙なパフォーマンスを披露した人物です。大道芸のように体からチョコレートを流し出し、12センチだけ浮くという謎の芸で資金を集めようとしたエピソードは、何とも滑稽です。その場面でホセ・アルカディオが『これは物質の第4態だ!』と叫ぶシーンも忘れられません。液体、気体、個体に続く第4態とは何なのかと、ニカノル神父が困惑する姿がユーモラスでありながらも、現実と非現実の境界が曖昧さがありました。そしてニカノル神父が「人間的な気遣い」からホセ・アルカディオと接する場面も好きです。心の機微がさりげなく表現されており、『百年の孤独』においては珍しい、温かみのある瞬間でした」
「ホセ・アルカディオが帰ってきたとき、全身にタトゥーをゴリゴリに彫っている姿も面白い。彼は典型的なごろつきキャラですが、その姿がどこかコミカルでありながら衝撃的!」
「フエルナンダは、その育ちの良さから自分のルールを家に持ち込み、ウルスラを困らせます。この二人の関係もまた、ウルスラが抱える葛藤や不満もよかった」
「アウレリャノの大食いぶりも良いエピソード。大食漢ってなんか引き付けられます」

『百年の孤独』のキャラクターたちは、各々が独特の個性とそれぞれのエピソードが絡み合い、作品全体を読み進める力になりました。

『百年の孤独』との出会い

「『百年の孤独』を読もうと思ったきっかけは、桜庭一樹版の『百年の孤独』を手に取ったことから始まりました。桜庭一樹の『赤朽葉家の伝説』の影響でガルシア=マルケスの作品に興味を持ちました」
「職業柄、さまざまな人から本の話を聞く機会が多いのですが、それまで『百年の孤独』は読んでいませんでした。そんな中、読書会をきっかけにようやく読み始めることができました」
「中上健次の『千年の愉楽』」

「『百年の孤独』が有名すぎますが『このジャンルならこの本を読んでいないとダメだよね』というような押し付けがましい意見には抵抗を感じます。読書の間口を狭めるようなことは、決してしてほしくないと思っています。例えば、ディストピア文学なら「1984年」を読んでいないと話にならない、なんて。そういった固定観念が他人の読書の自由を奪ってしまうこともあるのではないか」

読書は個人のペースや興味に合わせて楽しむものであり、必ずしも「読んでおかないといけない」本があるわけではありません。

本、めくられたページ

文体について、終始おしゃべりな小説

「『百年の孤独』の文体について、どう感じましたか?」
「この小説は、とてもおしゃべりな作品だと思います。まるで誰かがずっと語り続けているように、物語が絶え間なく進んでいくような。
「文体はどこか乾いた印象を受けました。感情を抑えた冷静な語り口でありながら、同時に奇妙で独特な雰囲気がありました」
「読んでいて『ああ、おお、ええええええええ?』と驚かされることも多々ありましたし『消えちゃう、消えちゃう、わーお!』というような瞬間もありました。まさに、この小説は予測不可能な展開や、現実離れした出来事が次々と起こるため、その独特な文体が物語の驚きに一層拍車をかけいました」
「この文体こそが、ガブリエル・ガルシア=マルケスの天才的な語り口を象徴しているのだと感じました」

フラクタル構造と円環的

「作品の構造について考えると、池澤夏樹さんが言っていた『フラクタル構造』という概念がぴったり当てはまるのではないでしょうか。このフラクタル構造とは、全体の一部分を切り取っても、それが全体と同様の形をしているという特徴があります。つまり、作品の一部分を見ても、それが全体の物語と相似しているのです。この一部分と全体が互いに行き来する構造は、『百年の孤独』の魅力の一つだと感じました」
「例えば、目が見えなくなったウルスラが鍵を探すシーンがありましたよね。『ああ、ここにあるだろう』と感じるその場面は、実は何度も繰り返されてきたことです。そのため、ウルスラは次にどう展開するか、自然にわかってしまうような感覚があった。これは、物語全体が何度も同じパターンを繰り返しながら進行していくフラクタル的な性質を持っているからこそ生まれる現象なのではないでしょうか」
『「円環的な物語」とも書かれていましたよね。文庫本の3百何ページに書かれているように、物語が一巡し、終わりが始まりに戻るかのように感じさせる構造。物語が進むにつれて、読者は次第に全体が一つの大きな輪の中で回っていることに気づき、その円環の中でキャラクターや出来事が繰り返される様子を目の当たりにする……」

この巧妙な構造が、ガブリエル・ガルシア=マルケスの語りの手腕を輝かせて、『百年の孤独』愛される理由の一つになっているのだと感じます。

リアルな与太話

「『百年の孤独』には、不思議な話がいくつも語られますが、これをどう受け止めましたか? 『マジックリアリズム』『魔術的リアリズム』という言葉は、その強力なイメージから、なるべく使いたくないと思っていました」
実際、読書会でも終盤になるまで、この言葉はほとんど登場しませんでした。なぜなら、この「マジックリアリズム」というパワーワードがあまりにも強烈で、それに引っ張られて話の方向が決まってしまうのではないかと心配する参加者が何人かいたからです。

「実際、マルケスの母親はとても話し上手で、エピソードトークの達人だったと言われています。マルケスが語る不思議な物語も、実は聞いた話や近所で起こった事件に尾ひれをつけて話しているだけで、それが特別に違和感を与えるものではないのかもしれません。むしろ、その語り口が、物語にリアルな与太話のような質感があり、読者にとっては自然なものとして受け入れられたのかも」

「この小説ってある種、追憶の物語ですよね。羊皮紙に書かれた内容が代々伝承されていくように、物語自体が記憶や伝説を受け継いでいく仕組みになっています。妄想すると、この物語の語り手は一人ではなく、複数の視点や声が交錯しているのかもしれません」

矛盾と誤り?『百年の孤独』の「42の矛盾と6つの重大な誤り」とは

「『百年の孤独』には「42の矛盾と6つの重大な誤り」があると言われていますが、一体その基準は何なのでしょうか? そもそも、この作品自体がハチャメチャな展開を見せるので、どれが矛盾でどれが誤りなのか、さっぱり分かりません!」

「物語が持つ不条理さや奇想天外な展開を考えると、「矛盾」や「誤り」を指摘すること自体が、ある種のナンセンスに思えてきます。この作品の魅力は、まさにそのハチャメチャさの中にこそあり、細かな矛盾や誤りが逆に物語の不思議な魅力を引き立てているんじゃないですか」

プルデンシオ・アギラルに侮辱された夫婦生活 その意味とは?

「軍鶏に負けた後、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは夫婦生活を侮辱されますが、これにはどういう意味が込められているのでしょうか? おそらく、夜の生活に対する暗示なのかもしれません」

「当時の小説、特に海外の文学には、過激な性表現が含まれることが多く、これはその延長線上にある表現とも考えられます。プルデンシオ・アギラルの侮辱が暗に性的なことを示しているとすれば、それはホセ・アルカディオが何らかの理由で不具、もしくは性的な問題を抱えていたのかもしれません」

「この侮辱は、単なる言葉の暴力以上に、当時の社会における男性の威厳や力の象徴である「夫婦生活」に対する直接的な攻撃とも受け取れます。ホセ・アルカディオがこの侮辱をどう受け止めたかは、彼のその後の行動や心理状態にも大きく影響を与えたのではないでしょうか」

アルカディオの死と流れる血の謎

ある参加者は「途中で挫折してしまったものの、解説を読んでようやく『百年の孤独』を最後まで読む気になりました。作品の中でも特に印象に残るのが、アルカディオが死んだ後に血が流れていくシーンです。この場面で、彼の死が他殺なのか自殺なのか、どう解釈すべきか悩むところです」と語っていました。

アルカディオの死については、自殺・他殺で読者の解釈が分かれました。

残酷な子供たち

子供たちが見せる本当に残酷な一面が描かれています。ホセ・アルカディオの最期は衝撃的です。彼は日課としていた水浴びの最中、取り巻きの少年たちによって溺死させられ、さらに彼の所持していた金まで盗まれてしまうのです。

「無邪気さとはかけ離れた子供たちの冷酷さを浮き彫りにしており、ホセ・アルカディオの運命の残酷さが強調されていました。物語の中で彼がどのような生涯を送ってきたかを振り返ると、この結末がもたらす衝撃と悲しみがありました。少年たちによるこの行為は、無慈悲であり、ホセ・アルカディオの人生が無意味に奪われてしまったことが残念です」

物語の具体的な年代について

「『百年の孤独』の具体的な年代は、1828年から1928年の間と考えられます。この時期には、コロンビアの歴史においても非常に重要な出来事が含まれています。特に、1899年から1902年にかけて起こった千日戦争は、凄惨な争いとして知られています」

千日戦争は、1902年10月に締結された「ネエルランディア協定」によって、そして同年11月21日に結ばれた「チチコタ協定」および「ウィスコンシン協定」によって終結しました。これらの協定は、コロンビアの内戦を終わらせ、国の再建に向けた一歩を示すものでした。

この歴史的背景は、『百年の孤独』の登場人物たちの運命や物語の展開に影響を与えており、作品の中で描かれる出来事や人物の行動に現実の歴史がどのように反映されているのかを考える上でも重要な要素となっています。

フランスの社会派小説との意外な共通点

『百年の孤独』には、不眠症、雨、バナナ工場の虐殺、そして誰も覚えていない出来事、栗の木に縛られる人物など、象徴的で印象的なエピソードが数多く登場します。
その一方で、鉄道の開通といった産業の進展も描かれています。
これには、ヨーロッパの社会を反映した小説、特にゾラなどのフランス文学との共通点があります。

ゾラをはじめとするフランスの社会小説は、産業革命や技術革新がもたらした社会的影響を鋭く描き出しており、これらのテーマが『百年の孤独』にも見受けられます。物語の中で鉄道が開通するシーンや、バナナ工場の進出といった出来事は、ヨーロッパの中心から北欧に伝わった過程と非常に似た方法で、中南米にも産業やテクノロジーが浸透していく様子を描いています。

ウルスラが訴える「豚のしっぽ」の呪い

記憶喪失や記憶が引き継がれないことが、物語の根幹に深く関わっています。この記憶の欠落によって、登場人物たちは過去の過ちを繰り返し、同じ運命に囚われ続けます。その結果として、近親者同士の結びつきが多くなり、家系の中で同じことが何度も再現される。

その中でも「豚のしっぽ」の呪いだけは、ウルスラが必死に口をすっぱくして警告し続けます。彼女は、家系が陥る悲劇を防ごうとするかのように、この呪いの危険性を繰り返し訴え、後世に伝えようとします。しかし、記憶が断絶されていく家系の中で、その警告もまた無視されがちです。

ウルスラの警告は、家族の中で唯一未来を見据えていた者の叫びとも言えるでしょう。彼女が語り続ける「豚のしっぽ」の呪いは、単なる迷信ではなく、家族が繰り返す悲劇の象徴であり、過去を忘れ去ることの危うさを示しています。記憶が引き継がれないことで、同じ運命が繰り返されるというテーマが、この物語全体に漂う宿命感を一層強調しているのです。

テクノロジーと自然、神々しさを纏うアウレリャノ大佐

『百年の孤独』では、テクノロジーと前近代的なイメージが複雑に絡み合っています。ただ、自然や魔術といった要素も色濃く入り混じっており、幻想的な雰囲気も漂っています。

「象徴的な場面の一つとして、電信の向こうにいるアウレリャノ大佐が神々しく描かれているようでした。彼の存在はまるで神のお告げのように感じられ、電信という当時の最新テクノロジーが、彼の神秘性をさらに引き立てています。アウレリャノ大佐の神出鬼没さとその威厳から、彼の姿がまさに神のように映ったのかもしれません」

この描写は、テクノロジーと神秘が共存する世界の中で、人々がどのようにその新たな力を理解し、受け入れていたかを考えさせられます。マルケス大佐にとって、アウレリャノ大佐はただの人間を超えた存在として映り、彼が持つ神々しさは、時代の変化や未知の力に対する畏敬の念を映し出しています。

新訳が出なかった理由とは?著作権問題や独自の翻訳の魅力

「この文庫化のタイミングで、新訳が出なかったのはなぜでしょうか?」
「著作権の問題が関係しているのでしょうか。それとも、既存の翻訳が持つ独自のキャラクターや、多彩な個性が評価されているためでしょうか」

「そういえば、大阪弁のような方言が使われている箇所もあったようですが、これは原文ではどのように表現されているのでしょうか。翻訳者が意図的に選んだ表現として、日本語の中でも地域色の強い大阪弁を使うことで、キャラクターの個性が増します」

原文におけるニュアンスや表現を知りたいという読者の欲求も理解できます。

「孤独とは何か?」読書会で投げかけられた問い

「結局、『百年の孤独』とはなんなんでしょう?」
「なんでしょうね。解説本の中には、『百年の間に多くの人が死に、その死に直面した数々の人々が抱いた孤独である』という意見を読みました。どうでしょうか?」
「……どうでしょう」
あまりしっくりきていないようでした。
実は、この「孤独とは何か?」という質問は、第1回の読書会の最後に投げかけられたものでした。
「ウルスラの個人的な孤独なのか?」
「それともブエンディア家全体が共有する運命的な孤独なのか?」
この問いに対して、明確な答えを見つけることはできませんでした。

「ウルスラが感じた孤独とは、長寿ゆえに家族の一人一人を見送り、次第に周囲から隔絶されていく中での孤独だったのかもしれません」
「ブエンディア家全体の孤独とは、家族が何世代にもわたり同じ過ちを繰り返し、外部とのつながりを失い、自己完結的な運命に囚われ続ける孤独とも言えますし」

「まずこの物語の始まりにはウルスラがいる一方で「豚のしっぽ」がありますよね。そして最終的に「豚のしっぽ」で終局している。『豚のしっぽ』はなぜ出現したのか? 最後に出現したのはアウレリャノ・バビロニアはアマランタ・ウルスラとの間にできた子供。ここには『真の愛』というような表現があります。今までの軸となっていたアルカディオとアウレリャノの結婚や出産にはこの『愛』がなかったのかもしれません。『豚のしっぽ』=『愛』というふうに置き換えれば、『豚のしっぽ』が生まれなかった100年間は愛がなく、それぞれが孤独だったといえるのではないでしょうか」

メタ的な視点から見た孤独の解釈では、羊皮紙に書き残された物語
「結局のところ、メタ的な視点からこの物語を捉えてみると、マコンドのような街が実際に存在し、そこで誰かが羊皮紙にこの物語を書き残していたと仮定するのも、非常に興味深い考え方です。その架空の『誰か』の孤独が、この物語全体を包み込んでいるのかもしれません」

この質問に対する答えが出なかったのも当然かもしれません。『百年の孤独』が描く孤独は、あまりにも多面的であり、読む人によって異なる解釈を持つからです。この作品が私たちに問いかける孤独の意味を、考え続けていくことも醍醐味のひとつです。

『百年の孤独』のイメージ・カラー

『百年の孤独』という壮大な物語を読み終えた後、イメージカラーを何色と感じるでしょうか? 

灰色(モノクロ)は、物語全体に漂う朽ち果てた時間の感覚や、過去に囚われたブエンディア家の運命。この色は、何かすでに消え去ってしまい、その存在自体が色あせてしまったような印象があります。まるで古いフィルムがずっと回され続けているかのように、物語の中の出来事や記憶が、徐々に色あせ、消えていく運命を暗示しているのです。灰色はまた、繰り返される過去の重みと、抗えない宿命の陰鬱さを感じさせる色でもあります。

土色は、マコンドの大地に根付いた色です。土地と深く結びついた人々の生き様や、彼らが築いてきた歴史が、この色に集約されています。土色は、自然との共存や、土着の文化、風土が物語に深く刻み込まれていることを示しています。登場人物たちが運命に抗いながらも、その土地とともに生きる姿から連想させられました。

黄色は、『百年の孤独』の中でしばしば象徴的に登場した色です。バナナ工場の存在や、黄色い蝶の幻影、さらにはコロンビアの国旗……。黄色は希望の光であり、同時に狂気や破滅の兆しでもあります。物語の至るところに散りばめられた黄色は、ブエンディア家の運命を予感させました。

長々と書きましたが、本当に語るべきが多くて、話題が尽きない作品でした。

前回の課題本読書会 ウラジーミル・ソローキン『青い脂』


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『百年の孤独』に関連する小説

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九月の午後,藤の咲き乱れる古家で,喪服姿のローザが語り出す半世紀前の一族の悲劇.1833年ミシシッピに忽然と現れたヘンリー・サトペンは,無一物から農場主にのし上がり,ローザの姉と結婚,二人の子を得る.そのサトペン一族はなぜ非業の死に滅びたのか? 南部の男たちの血と南部の女たちの涙が綴る一

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熊野の山々のせまる紀州南端の地を舞台に、高貴で不吉な血の宿命を分かつ若者たち――色事師、荒くれ、夜盗、ヤクザら――の生と死を、神話的世界を通し過去・現在・未来に自在に映しだす新しい物語文学。

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『赤朽葉家の伝説 』 著者:桜庭 一樹 (創元推理文庫)

“辺境の人”に置き忘れられた幼子。この子は村の若夫婦に引き取られ、長じて製鉄業で財を成した旧家赤朽葉家に望まれ輿入れし、赤朽葉家の“千里眼奥様”と呼ばれることになる。これが、わたしの祖母である赤朽葉万葉だ。――千里眼の祖母、漫画家の母、そして何者でもないわたし。旧家に生きる三代の女たち、そして彼女たちを取り巻く一族の姿を鮮やかに描き上げた稀代の雄編。ーー

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『ジェルミナール 』 著者:エミール ゾラ (岩波書店)

フランス革命は,産業と科学とを結びつけ,大工業の発達を促し,労働者を組織化せしめた.ここに労資の利害関係の対立が社会的舞台の前面に押し出されてきた.ゾラは,この問題を社会の重要な要素として題材にとり,労働者の生態を描いた.プロレタリア文学の先駆をなす小説.ーー

引用元:「岩波書店」より

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