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前回のバルザック作品『ラブイユーズ』読書会に引き続き、開催された『青い脂』課題本読書会です。


『青い脂』 著者:ウラジーミル・ソローキン(河出文庫)

七体の文学クローンが生みだす謎の物質「青脂」。母なる大地と交合するカルト教団が一九五四年のモスクワにこれを送りこみ、スターリン、ヒトラー、フルシチョフらの大争奪戦が始まる。

引用元:「河出書房新社」より

ついにこの日がやってきました。
現代ロシア文学における衝撃的な作品、ウラジーミル・ソローキンの『青い脂』の読書会を開催しました。斬新で奇抜な設定と、常識や倫理観を大胆に無視したキャラクターたちが織りなすストーリー、読者を圧倒します。
文体を模写することで作中作を生み出し、まるでマトリョーシカのように多層的な構造を持っています。この読書会での感想をブログにまとめたので、お楽しみください。

内容についてのネタバレが含まれているのでご注意下さい。

——————–以下はネタバレを含みます——————–

【参加者の感想】

「読んで良かった。一人だと挫折していたかもしれない」

現代ロシア文学の挑戦的な作品です。
SF造語や中国語、ロシア語が混ざり合った複雑な文章、7体の文学クローンが登場し、謎の物質「青脂」を巡るストーリー。冒頭から展開される饒舌で独特の語り口と世界観、卑猥な言葉も交じりながら読み進めるのが難しいと頭を抱えました。が、読書会があるので共に読む人がいることが読み進めていく原動力になった、と。
多くの参加者からは「読んで良かった」との肯定的な意見がありました。

「文体模写」

ロシアでは、ウラジーミル・ソローキンは文体模写でも知られる作家です。彼のその能力は、ロシア国内で模写を真似たウェブサイトが存在するほどだそうです。
「ドストエフスキーの文体の模写が非常に似ていると感じました。特にくどさがソックリです」
「そうですか、他のロシアの文豪たち、例えばトルストイやチェーホフ、ナボコフとかは全然似ていないと思いました」
「なんか、生成AIが作ったような文章」

「注釈が説明になっていない」

作中にはたくさんの(?)が散りばめられています。
ロシアの歴史、人物、文化に関する注釈が含まれており、それに加えて言語が混在する複雑さが特徴です。意味が分かりにくい言葉の羅列が多く、説明が逆に読者を混乱させることがあり、「途中から注釈はスッ飛ばしました」という人が大半でした。

「入れ子構造」

夢野久作「白髪小僧」 ヤン・ポトツキ「サラゴサ手稿」 
『青い脂』は、その特異な構成も魅力的な要素のひとつとなっています。文学クローンと呼ばれる化け物たちが創作したさまざまな短編がいくつも物語に組み込まれています。読者は複数の物語を一つの大きなフレーム(『青い脂』)の中で楽しむことができました。好評だったのは「水文字」「青い錠剤」と「アフマートワの詩」という短編で、全体の物語のアクセントにもなっています。
「入れ子構造」の小説は、過去のRENS読書会で紹介されたヤン・ポトツキの『サラゴサ手稿』や、夢野久作の『白髪小僧』の話題もあがりました。

物語の中にさらに異なる物語が組み込まれ、読者は複数のレイヤーや視点が交錯する中で、没入感と多層的な読書体験ができます。異なる状況や文脈において共通するテーマを展開することで、比較や対比を感じられるはずです……。が、『青い脂』における作中作の場合、その意図やメッセージ性を一貫して主要な筋に結びつけるのが難しい側面があります。感覚的に感じ取れる部分はいくつかあるものの、それが直接的に本編の進行やテーマとどのように関連しているのかを解読することが容易ではありません。

「階層」

『青い脂』の第2章は、さらにダイナミックな展開になります。この章では、地下深くに潜むカルト教団がさらに地下へと降下していく様子が描かれており、その過程で教団内の階層別の組織体系が明らかになります。この組織体系は、ジョージ・オーウェルの『1984年』に登場するような階層分けがされた社会を彷彿とさせ、各階層は厳格な力関係が伺えます。
上位の階層は圧倒的な権力を持ちながらも、さらに上の階層には簡単に支配されるという、絶対的な権威と相対的な無力さが同居する状態が描かれています。
「奴は四天王の中でも最弱」というやつですね。
この階層構造は、現実社会の組織でも見られます。現実においても、階層が一つ違うだけで全く異なる環境や権力構造が存在し、階層間の情報の断絶が生じることが多いです。特に二つ以上の階層が離れると、上層部の実態は下層にとってはほとんど未知の世界となることもあります。

「言語」「ニェェェット! ニェェェェェェェェェェット!」

『青い脂』は、「ニェット」「ラオワイ」「リプス」といった独特の単語が度々でてきます。中国語やロシア語の言葉、あるいは完全に創作された造語であり、物語の独自の文体やリズムに大きく影響しています。これらの言葉が織りなすリズムは読み手の感覚に訴え、独特の中毒性をもっています。これを読むと、夢野久作の『ドグラマグラ』に登場する「スカラカ・チャカポコ」といったシーンを思い起こさせるかのような、奇妙で強烈な魅力があります。

「文学の可能性、特別なアフマートワ?」

序盤から登場する文学クローンの一体、アフマートワ。彼女は後に第三章でもAAAとして再び登場します。詩人の魂が世代を超えて受け継がれていく描写があります。
「かつて紙の上に自らの幻想を書き留めた人間だけが、青脂を生み出す能力を有する」という設定、文学とその生み出す想像力が不可分の関係にあることを示唆しています。さらに、物語の結末では果てしない想像力の可能性が描かれており、青脂が文学や想像力の象徴であるかのようです。
「それにしてもソローキンにとって、アフマートワは特別なんですかね?」

「大地信仰」

ドストエフスキーの『罪と罰』には「大地に接吻しなさいロージャ!」というようなセリフがあります。ヒロインのソーニャが主人公のラスコーリニコフに向けたこの台詞は、ロシアの大地信仰そのもののシーン。
この背景には、農奴制の時代から続くロシア人の大地への深い信仰があります。

「ロシアの大地信仰は、古来からの自然崇拝とスラブの伝統的な信仰が融合したものです。大地は肥沃であり、生命を育む源として尊ばれてきました。特に、冬が長く厳しいロシアでは、春の到来と土地の再生は神聖視され、多くの伝統的な祭りや儀式がこの時期に行われています」

この文脈を受け継ぐ形で、ウラジーミル・ソローキンの小説『青い脂』では、「大地交合教団」という名のカルト宗教が登場します。この教団は、古くからロシアに根付く大地信仰をモチーフにしており、その信仰が現代においてもどのように変容していくのでしょうか。

農奴制の時代には、農奴解放運動が盛んに行われていましたが、実際に土地の所有権を獲得した農奴はごくわずかでした。さらに、土地を手に入れた一部の農奴も、高額な借金を背負うことになり、結局は「借金地獄」に陥ることが多かったとされています。これは、表面的には自由を得たように見えても、経済的な束縛が新たな形で残ったため、真の解放とはならなかったのです。

「スノーピアサーに核戦争、マトリックス

映画『マトリックス』、『スノーピアサー』とウラジーミル・ソローキンの小説『青い脂』は、近未来のSFディストピアというテーマで結びついています。これらの作品では、人類が機械に支配された仮想現実、氷河期後の列車内での階級社会、未来の異常な社会がそれぞれ描かれており、どれも抑圧的なシステムに対する抵抗が描かれています。
『スノーピアサー』の列車は閉鎖された社会や環境問題、一方『青い脂』にも列車を舞台にした作中作の短編もあります。視覚的・文学的に異なる手法を用いながら、ディストピア的な世界観と科学技術の進展が人間に与える影響、そしてシステムに対する挑戦という共通のテーマがあります。

「世界の分岐。どこが史実と異なるのか?

『青い脂』は、実際の歴史とは異なるパラレルワールドを舞台にしています。この作品の世界では、ヒトラーとスターリンが共に生きており、独ソ同盟を組んでいます。このような歴史の改変が読者にとっては興味深いものでありながらも、歴史に詳しい人は逆に戸惑うかもしれません。
「ある程度歴史に自信がありましたが、この作品のパラレルワールドには驚き、歴史的な平衡感覚を失ってしまった」という意見も出ありました。

「解説から読むと頭に入る」

「初見では読み解く気にならない……」
初めて読む際にはその内容を完全に理解するのが難しいです。多くの参加者が、「読書会がなければ途中で諦めていたかもしれない」と感じているほど、複雑で挑戦的な言語使い、奇想天外な世界観、そしてエログロナンセンスな要素が満載です。
読む際には気力が削られると感じる人も少なくありません。その解決策として、巻末の解説から読み始めるという手があります。
解説を読むことで、この作品が設定する独自の時代背景や、「青い脂」がどのようなものか、また文学クローンの概念についても理解が深まります。
しかし、解説を読んでから本文に臨むという方法に対して、少し物足りなさを感じることもあります。「解説を読んでからでないと理解できないのは少し残念だ」という声や、「もっと意味不明なまま想像を膨らませたかった」という声も。
挑戦的な作品です。

「タブーがない」

「ディストピアに代表される制限とは対照的に逆にタブーがない。逆転している。だから全く感情移入できない」
『青い脂』は、従来のディストピア小説が持つ制約や禁忌を完全に逆転させた作品なのではないでしょうか。この小説は、タブーを設けず、どんな内容でも自由に描き切っています。エログロ、歴史の改変、政治的な配慮が一切排除されており、社会的な禁忌を犯すような展開が随所に見られます。読者は従来の道徳や倫理観をどのように持つべきか、通常の感情移入が困難になるかもしれません。
参加者から「作者はこれをあえてのアンチテーゼとして提示いて、逆にタブーがないんですよ」という発言が、この作品の核心を突いているように感じました。

新しい世界が構築されている?」

『青い脂』の結末は、非常に奇抜な展開を迎えます。物語のクライマックスで、スターリンの脳が突然肥大化し、巨大な爆発を引き起こす。
「もしかするとこの爆発は、時間と空間をループさせる効果を持っており、現実が破壊された後には、まったく異なる新しい世界が出現すのでは? この新しい世界では何億年もの時間が経過しており、登場人物たちが再生または再現されている……この点については永劫回帰の概念を思わせました」

理解しがたいかもしれません。それぞれのループが新しい現実を作り出しており、これが繰り返されることで、無限の可能性があるのではないか……。作者はこのような壮大で混乱を招く結末を通じて、時間と宇宙の循環、そして歴史の再解釈についての思索を促しているのか。前衛芸術作品です。読者はこの解釈の難しさに「もうお手上げです」と感じるかもしれませんが、その複雑さがこの小説の醍醐味ではないでしょうか。

【まとめ】

本当にこの作品は砂のように実態があるものの、掴みどころのない感覚が残る作品でした。
ほかにも死海文書やクムラン教団、トニ・モリスンの人種観に関する話題もあって、まだまだ掘り下げたいところですが、小説の内容も、読書会の進行も非常に複雑であったため、ここで終えます。手に負えません。
刺激的な話題が次々と出てきたため、3時間半があっという間に感じられました。

「次は???」

ラテンアメリカ文学 ノーベル文学賞作家 ガルシア=マルケス『百年の孤独』

興味がある方は、ぜひご連絡をお待ちしております。

(記事については、あくまで読書会で出た個人的の感想です)

ということで、今後も課題本読書会を開催したいと思いますので、要望があれば是非ともご連絡ください。

前回の課題本読書会 バルザック『ラブイユーズ』


https://rens-cycle.com/reading-club-books/8905/