はこ

積読ジャーニー サンプル

調べるまでは知らなかったのだが、『はこ』という形(モノ)を表す漢字はたくさんあるらしい。箱・函・ 匣・筥・匚などなど用途や大きさによって使い分けが存在するわけだが、この『はこ』と自分の読書遍歴に密接な関連があることに気づいたのはこの寄稿を依頼されてからのことだった。今回は自分の読書のルーツについて少し話をしてみたい。

広島駅の北側に、今では再開発によって全て消え失せてしまった旧国鉄アパート群が四〇棟近く林立していた。父が国鉄社員であったため、昭和後期に生まれてから一五歳まで私はここで過ごした。私立の中学校に上がるにあたり広島駅から電車で通学することになった。毎日必ず広島駅構内を通るのだが、この構内に一軒の本屋が入っていたことが自分の読書遍歴に大きな影響を与えた。毎日ほぼ必ず本屋の中を通って帰宅するの が習慣になったのである。

いつからそんなルールができたかは記憶にないが、母親からは「マンガでない本はいくら買っても良い」と言われていた(逆に言うとマンガは一切買ってもらえなかったが…… )。これを書いていて思い出したことだが、「必ず読み終わってから次の本を買え」「三千円以上の本は買うな」など、そういう細かい(ケチな)ルールは何もなかった。決して裕福な家庭ではなかったはずだが、とにかく本だけは無制限に買えた。これは当時の自分にはえもいわれぬ魅力があったのだが、自分の子供たちに試しに同じことを言ってみてもあまりピンとこないようなのでこれはあくまで個人的な印象なのだろう。

さてそういう環境になっておそらくすぐだったのではないかと思うが、背表紙を見ながら何気なく本を物色 している時、この本に出会った。当時ほかにどれだけ似たような装丁の本が出版されていたのかもわからない し、意外に珍しくもなかったのかもしれない。しかしその本は衝撃的なビジュアルで僕の目に飛び込んできて、 完全にくぎ付けになってしまった。タイトルも「暗闇坂の人喰いの木」という中学生にはかなり刺激的なものではあったが、とにかく虜になったのはその形状である。566ページなので今からすればもっと分厚い本はいくらでもあるのだが、当時はとにかくその分厚さに魅せられた。「まるで『はこ』じゃないか…… 」と半ばあきれると同時に美しいとも感じたのである。手に取った人ならわかると思うが、新書の表紙はおどろおどろ しいながらも、聖遺物のような威厳があった。このような素晴らしい装丁でなかったら、もしかしたらここまで『はこ』に執着することはなかったのかもしれない。

この『はこ』との出会いをきっかけにしてミステリー小説漁りが始まり、本格的な読書の道に入ったと言っていいだろう。それ以来困ったことに、分厚い本を見るととりあえず買ってみたくなる衝動が常にあり、それ は同じく島田荘司の「アトポス(むしろ『はこ』に近いのはこちらだと思うが)」や京極夏彦の百⿁夜行シリーズなどのミステリーにはとどまらない。ギャディス「JR 」、ボラーニョ「2666 」、パワーズ「黄金虫変奏曲」、 グレイ「ラナーク」など、もしかしたら『はこ』に対する執着がなかったら出会ってなかったかもしれない本たちである。もちろん文庫であってもページ数が多いほど『はこ』に近づいていくので、このような文庫もた くさん所有しているがここでは紹介しきれない。さらに言うと実はさまざまな全集を買い集めてしまうとい う困った趣味もあるのだが、全集というのは全体でみると一つの大きな『はこ』のような様相を呈するからで はないかと思っている。

人生哲学として、現在の自分の魂は読んできた本たちによって形作られていると信じているが、その道程までははっきりと思い出すことはできない。しかし、いかに『はこ』に引き寄せられながら読書をしてきたかという視点でもって改めて自分の本棚を眺めると、まるで夜空の星座のように辿ることができるのは驚くべきことである。
いまだに答えがわからないのは、自分がどうにも愛着を感じている『はこ』をあらわす漢字は一体どれなのだろうかということである。「箱」なのか、それとも「匣」なのか…… 。中に何も入らない『はこ』ではあるが(もちろん蓋さえない)、無限に素晴らしいものが詰められているとも言える。この自分にとってもミステ リアスな『はこ』に対する愛着とはおそらく一生の付き合いになるのだろう。

出会った小説:『暗闇坂の人喰いの木』

著者: 島田荘司

この作品は積読ジャーニー第一弾に収録されています。